湖北米栽培農家  滋賀モリファーム
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就農した理由
高校を卒業してから、地元の農協に就職して5年目の頃、農業一筋で頑張ってきた両親を見ていると、長年にわたる疲労の蓄積のためか体が弱々しく見えてしまった。

私自身いつかは跡継ぎとして農業がしたいと、心のどこかでそんな思いがあり、父親に農業をしようかな?と相談をしてみた。  その時の父親は嬉しそうな顔に見えた。 そしてこれからの農業は〜だと、いつになく言葉数を増やし、私を口説き始めた。

もともと物づくりが好きで、花の種を買って来てプランターで栽培してみたり、観葉植物を買って部屋にいくつも置いてみたりしていたので、自分にも農業ができるのでは?と比較的軽い気持ちで平成11年(24歳)からこの道に入った。
今思えば遺伝子がそうさせたのか、と思ってしまう。 
就農一年目の私 栽培面積 18ha
田植え・稲刈りの農繁期ぐらいは就職していても手伝ってはいたけれど、田んぼがどれも同じに見えてしまって、どれが我が家の管理する田んぼかも分からないどころか、何をすればよいのかも全く分からない・・・。

初日は父親の後について行った田んぼで「三ツ鍬」を渡された。  代掻きが終わった後の田んぼの高低差を直すために使うのだと教えてくれた。
さすがにこの若さで、民家も近くにあり、田んぼに入って三ツ鍬を使っているところなんてかっこ悪いから、誰にも見られたくないと赤面した。

父親は、鍬もろくに使えないような者は農業なんて出来ないと言っていた。 それなら仕方がない(汗)。 

田植え・稲刈り以外の作業はすべて初体験。 最初だけ「○○の作業をする」とだけ言い、後は説明など無かった。 わしを見て、目と体で仕事を覚えろということなのだろう。
いかにも父親らしい教え方だと思った。

収穫も終わり、一回りしたお陰で大まかな一年の流れと、田んぼを覚えることができたが、お米の味なんて全く興味が無かった。 収穫したお米は、JAがトラックで取りに来てくれて手元に残るお米は年貢と地元のお客さんと飯米「日本晴」のみ。

この年の11月に結婚し、引き出物に「私が初めて収穫したお米」です。と書いて配ったが、誰一人その後買おうとする人は無かった。 今思えばそれは当たり前のことだと思う。
就農2年目の私 栽培面積 19ha
一年間、父親の後ろについてまわり、日々の農作業で話相手といえば父親しかいない。
学生時代や農協の職員時代は、人もいっぱいいて喋り相手も沢山いたのに・・・ 言いようの無い孤独感だった。  言い訳だが、人がたくさん集まるパチンコ屋にもよく通っていた。

救いだったのは、田んぼで会うご年配の方はみんな本当に親切で、昔話や栽培のこだわり・農業情勢など、現場での現状をリアルに教えてくれたこと。 

農協の職員時代には、組合員の農家さんの本音なんてほとんど聞くことは無かったが、実際に現場に立って始めて気付く事も多く、地域密着型が武器である農協だからこそ、もっと農家さんとのコミュニケーションが必要だったのではと、この時に気付いた。 
でも、私は辞めた身。 もう遅い(汗)。

2年目で周りの農家さんからも、私が農業を継いだのだと、知れ渡ったように思う。 どちらかといえば暖かく歓迎さているように感じた。
農業を選んだ自分に、なんとなく自信と誇りを感じる事も出来、自分の居場所を見つけることができたように思った。

とりあえずの目標は、一人でもお米作りができるようになる事。 今、両親に何か起これば私一人ではまだどうすることもできない。 そんな焦りを持ちつつ、無事に収穫が終わった。

この年に、初めてお米を欲しいという人がでてきた。 妻の実家と、親友の実家の2件。 近いところだけれども本当に嬉しかった。 品質や味については全然分かっていないけど、”自分の作ったお米を欲しい人がいる”という現実に強い喜びを感じたことを今でも覚えている。 


就農一年目の私 栽培面積 20ha
この年の一番大きな出来事といえば、私が父親になったこと。 長男「徹平」が生まれた事によって、農業に対する考え方も大きく変わったように思う。

昨年から始まった「環境こだわり農産物」認証制度。 実は前年度も少し取り組んでいたが、今年も農協と契約で「秋の詩」という滋賀県推奨の品種を、農薬・化学肥料共に使用量を通常栽培の半分以下に抑えて栽培した。
 
この制度をしたからといって、特に何もメリットは無いのだが、除草剤をはじめとする農薬に対して、子供が生まれたことをキッカケに興味を持つようになった。
自分の子供には、なるべく農薬を使用しないお米を食べさせたい。 でも、いざ無農薬での栽培は想像以上に大変なことだろうと思った。


この年に「湖北農業後継者クラブ(通称konefa)」の存在を知った。 父親に入会したほうがよいのかを相談してみたのだが、父親いわく”農業機械の自慢大会みたいなものだからやめておけ”と言った。  機械には弱いし、このまま父親から仕事を覚えて、同じように経営をしていれば何とかなるだろうと感じたから、入会はやめようと思った。

しかし、町内で私と同じような先輩の専業農家さんから、後継者クラブへの誘いをもらい、とりあえず様子を伺うために出席したことが、自分の小ささを知る事になった。

20名ほど居られて、全員20〜30代。 自分と同じような若者の集まりで、ほとんどが200反以上の大規模農家。 父親の下で2年間過ごしてきたから、世間が全然見えていなかった事もあるが、こんなにたくさんの人が同じように農業をしている事に驚かされた。
そして、迷わず入会。

月に一度ある月例会にはとりあえず参加をしていた。

仕事も大まかな仕事は一人でできるようになり、3年も経てば草刈作業のスピードも相当な自信をつけることができた。
お米は3回しか作っていないけど、この3年間で稲作農業者としての必要最低限の力を付けられたように思う。


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